頑張らずに生きる。

生きる知恵や世の中の真理、スピリチュアルについて書いてあるブログです。

「愛」って何? ~その2~

では「やりたいからやっている」という視点で愛を与えるというのはあまりにも自分勝手ではないか?という疑問が出てくるかもしれません。

自分が良ければそれでいいという風にも見えてしまいます。

ストーカーのように「自分さえよければ相手が嫌がっていようが自分の気持ちを伝える」ということになるんじゃないか?

ストーカーなどの場合は自分がやりたいからやっているんではなく、相手に執着しているということです。

相手が言動にしろ行動にしても自分の期待通りのものを与えてほしい、または与えてくれなかったから相手のせいで自分はこんな風になっているという被害者意識を持っていることが多いです。

 

その1でも言いましたが相手に対して愛があれば、相手に期待通りのものを求めることも無いですし、ただ自分が愛を与えたいからしている。それが満足なんです。

 

そして「相手の為に」というのも厄介で、言葉だけ聞くときれいなことのように思いますがこれは「相手の為にやってあげてるのだから喜んでもらって当然」という考えも含んでいる事があります。

「相手の為に」と思ってやっていたことが実は相手の為になっていなかった。ということはありませんか?

相手にしたら有難迷惑だった、必要なかった。という場合、良かれと思ってやっている側は「もう二度とするもんか」とへそを曲げてしまうかもしれません。

 

しかし「自分がやりたいからやっている」という思いで相手に対して何かをすれば相手が喜ぼうが必要ないと思われようが自分がやりたいと思って勝手にやった事だから責任は自分にあるというマインドになります。

 なので、相手に恩着せがましくなることもなければ誰かのせいにしたり環境のせいにすることも無い。

誰かに言われて嫌々やるのではなく、自らが望んで行動する。

この視点は「愛」を相手に与える行為だけではなく、すべての行動に当てはまることなのです。

 

 

~もうすでに持っている~

誰の中にも「愛」は必ずあります。

極悪非道な人にも犯罪者にも誰にでも。

「自分は優しくないし愛がある人間ではない」と思っている人にも必ずあります。

愛を感じられない人はただ深く眠っているだけなのです。

それがふとしたキッカケで愛を感じられるようになるかもしれません。

 

「愛」は自分自身でもうすでに溢れるほど持っています。

誰かに依存しなくても何かに依存しなくてもあなた自身が枯れることのない愛の塊なのです。

お金は出費し続ければいつか無くなってしまうかもしれません。

でも「愛」は与えても与えてもなくなることはないんです。

なのでケチっても仕方がない。

お金や物をあげるだけが優しさではありません。

人それぞれの優しさがあり表現方法があります。

そしてそれぞれの魂の成長段階があって、成長が早いほうが優れていて成長が遅いほうが劣っているのではありません。

すべての人、今ある全てが完璧なんです。

どんな人でも必ず進化していきます。焦らなくていいんです。

退化しているように見えても人は世界は進化していきます。

あなたが愛に覚醒すると、目に映る全てのものに神聖さを感じるようになるでしょう。

そしてただシンプルに「自分を生きる」これでオールオッケーです。